S


※1915年にオークリー J. ホール大佐 Captain Oakley J. Hallよって、サン・ディエゴ・マリーン・コンストラクション San Diego Marine Constructionがカリフォルニア州 State of Californiaのサン・ディエゴ San Diegoに設立。1972年にキャンベル・インダストリーズ社 Campbell Industriesに売却。のちにサウスウェスト・マリーン社 Southwest Marine, Inc. に売却され修理施設に改装。1998年11月にはSWMホールディングス社 SWM Holdings, Inc. に売却されユナイテッド・ステーツ・マリーン・リペア社 United States Marine Repair, Inc. と改名。2002年にはユナイテッド・ディフェンス・インダストリーズ社 United Defense Industriesに売却。2005年6月にBAEシステムズ BAE Systemsがユナイテッド・ディフェンス・インダストリーズ社を買収し、BAEシステムズ・サン・ディエゴ・シップ・リペア BAE Systems San Diego Ship Repairとして今日も続ている
※2015年3月に艦船造修施設の拡張を実施を発表。艦船造修用桟橋(ピア4)の開設式典を実施。このピア4は長さ126.49m、幅19.50m。乾ドックの新設(長さ289.56m、幅62.48m、55,000t対応)も同時に進めており、2017年初めに竣工予定。施設拡張・改善等の投資額は約100,000,000ドル。2017年以降、大型乾ドック2基体制となる


※サン・フランシスコ海軍造船所 San Francisco Naval Shipyardは、カリフォルニア州南東部のサン・フランシスコ San Franciscoでサン・フランシスコ湾 San Francisco Bay沿いに位置している。1869年に2つの乾ドックを所有する民間・商業乾ドック施設を設立。19世紀末〜20世紀初頭にユニオン鉄工所 Union Iron Works companyが購入。のちにベスレヘム・スチール社が所有し、ハンターズ・ポイント造船所 Hunters Point Drydocksと改名。場所はポトレロ・ポイント Potrero Point。1939年12月29日に海軍がここを購入。1946年に海軍放射線防衛研究所 Naval Radiological Defense Laboratoryを設立。NRDLは1969年まで運用され、放射能に対する艦船防御、放射性深海処分のための廃棄物、動物研究、放射線検出計装開発、および他の実験室等研究を行った。NRDLも除染やマーシャル諸島での核実験に関連する何隻かの艦船を処分した。1974年に閉鎖されハンターズ・ポイント海軍造船所 Hunter's Point Naval Shipyardと改名。1976年5月にトリプルAマシーン・ショップ社 Triple A Machine Shop, Inc. の所有となり、海軍から造船所の大部分を賃借し、1986年6月まで商業船の修理施設を運営。再び海軍所有となりのちにトレジャー・アイランド海軍基地ハンターズ・ポイント付属施設 Treasure Island Naval Station Hunters Point Annexと改名。ミズーリ戦闘群 USS Missouri battlegroup(戦艦ミズーリ Missouri(BB-63))の母港となる。1994年に閉鎖。元造船所はこちらで、Googleで航空写真を見ることができる


※サン・フランシスコ湾海軍造船所 San Francisco Bay Naval Shipyardは、サン・フランシスコ海軍造船所(別名ハンターズ・ポイント Hunters Point)とメア・アイランド海軍造船所 Mare Island Naval Shipyardの合併し、1965年に誕生した短命の造船所だった。この造船所は世界最大の海軍造船所であったが、必要なコスト削減が実現しなかったため、2つの造船所は1970年2月に分離され元に戻った。アメリカが原子爆弾をテストしていた時に、造船所が放射性試験に使用された


※SteelShipはGrafton Boat WorksのEd Fryがアーカンソー州 State of Arkansasのモンティセロ MonticelloのMonArk Boatsと共同で立ち上げた会社。1976年に倒産し、ドラヴォ Dravo社に買収され、1982年にトラック運送会社のJ. B. Huntに売却。1989年に閉鎖され、現在はリヴァー・ターミナルとなっている


Update 23/09/01